まず驚くのが、音の軽さだ。手首にほとんど力が入っていないかのようなとても軽いタッチで弾いている。けれど、それは「軽い演奏」ということではまったくなく、早いところでは明るい気分を、ゆっくりしたところでは落ち着いた気分をそれぞれ感じさせる。
55年版では、どこか若き才気のほとばしり、といった感じの演奏だったが、81年版では曲自体への新たな解釈をもとに、じつに緻密な演奏をしている、という気がする。たとえば、ここのページを見てほしい。
ここでは、宮澤淳一の論文において、81年版でグールドが、「一定のパルス(拍子を刻む一定の時間間隔)を設定し、全ての変奏において、拍子(を決める音符の音価) がそのパルスと等価または整数比になるように拍子を刻む速さを設定している」 ことが指摘されていると言及している。
要するに、すべての変奏に共通の早さの基準を設けて、それを楽譜ときっちり対応させながら弾いている、ということだろう。一見すると、とても自由に弾いているようにも見えるが、しかし実はものすごく自分を律しながら弾いているわけだ。こうしたアプローチ方法は55年とは明らかに違う。
タッチの強弱も81年版の方が明らかに均衡がとれていて、右と左、一音一音の強弱がとても均整がとれている。違うのは、早さだけではないのだ。
グールドがどうやって81年のこの版を作ったのかがよくわかるインタビューがあった。
55年の演奏もすごいが、81年の演奏は、彼がただの若き天才にとどまらず、進化し続けていたことがわかる。天才がエゴを超えて見事に成熟し、彼の孤高の表現となる作品を最後に生み出した。驚きなのは、彼のその才能に見合うだけの作品をバッハというこれまた天才作曲家が残していた、ということだ。